「ちゃんと説明するとは言っても、要はあの時言うたまんまなんやけど。写真集を出す。俺が、さんの写真を撮る。それだけ」
大倉はあっさりとそう言った。たしかに言葉にすれば『それだけ』の話かもしれないけれど、それでは納得できない。
不安が募る。そして積もる。
自分が引き返せないようなところへ来てしまったような気がして。
それは、今いる大倉の家に足を踏み入れた瞬間から何倍もの重さになって、私の体にのしかかっている。








大倉のバイクのバックシートに乗って、20分程度。着いたのは、私が住むアパートとはまるで違う立派なマンションだった。もちろん見掛け倒しではなく、室内も広くて綺麗。
「靴脱がんでええから。脱いでもええけど、まぁ好きにして」
そう言って、大倉は言葉どおりブーツのままスタスタと部屋に入っていく。少し躊躇ったが、結局私も靴のまま部屋にあがった。「適当に座って」と言われて、広い部屋の真ん中あたりにある黒いソファに座る。
「わりと綺麗にしとるやろ?」
「・・・そうですね。家具もセンスいいし」
「あ、それ俺のセンスちゃうよ。モデルルームのまんま買い取っただけ、めんどくさかったから」
「・・・・・・」
生活グレードが違いすぎて、基準も何もわからない。座っているソファは思った以上にやわらかくて、体が妙に沈んで落ち着けない。
「コーヒーか紅茶、どっちがええ?」
「・・・紅茶でお願いします」
「コーヒー飲まれへんの?さっきも紅茶やったし」
よく見てる、と思った。だけどさっきのカフェでの支払いは彼がしたんだし、それくらい把握していてもおかしくはないか、と思いなおす。あまり神経質になりすぎるな、と疲れた頭のどこかが言っている。もういろいろ考えすぎて、疲れた。だけどこれからとても重要な話をしなければならないのだから、集中力は残しておかないと。紅茶の話題なんかに気をとられていたって仕方がない。
「はい、コーヒーは苦手なんです」
「じゃあなんか好きな紅茶の種類とかあんの?ダージリンとかアッサムとかシナモンとか」
「・・・・・・特にないです。スーパーでその時々、一番安い物を買うので・・・だいたいダージリンが安いんですけど」
「・・・・・・」
今度は向こうがグレードの違いを思い知ったようだった。
「・・・はい、インスタントので悪いけど」
紅茶の種類の話はなかったことにしたようで、大倉はティーバッグの沈んだカップを私に手渡して、ソファの隣に座った。









そして話は冒頭に戻る。
「・・・それにしたって、まだ私は何も聞いてないし答えてもない段階で」
「あれはごめん。先走ったよな、俺が。びっくりさせてすみません」
「・・・・・・」
さっきから、思っていたけど。
大倉の言葉はどこか空っぽな感じがする。
というか、わからないのだ。心がこもっているのかいないのか、本当にそう思っているのかいないのか。うわべだけにも聞こえる。だけど、真摯なようにも、聞こえる。声に抑揚がなく淡々と話すから判断しにくいのだろうか。それだけ、なのだろうか。
渡された紅茶を口に含む。飲んだことのない葉の味だった。私なんかが飲むことのない、上質な物なのかもしれない。
だけど紅茶を味わっている場合ではなかった。
「助けてあげる」と彼は言った。それに「助けてください」と応えたのは私だ。
それでも、まだ信じきれていないのも事実。半信半疑という言葉がぴったりの、中途半端な状態だ。
信じていいの?
助けてくれるって言った。
初めて会った人なのに。
だけど、彼は家族を亡くす悲しみを知っている。
そんなものもしかしたら全て作り話かもしれない。
頭の中で誰かと誰かが掛け合っている。
「だけど悪いようにはせぇへんし、つか絶対ええほうに持っていく自信はある」
大倉はそんな私の思考を止めるように言葉を次々と発する。
「写真集の話も、もちろんヌードとか撮るわけちゃうし。そんな変な物じゃない、ただ俺がさんを撮るっていうだけの物にするつもり」
「・・・・・・」
「俺も人物の写真集は撮ったことないからあんまわからんけど、予定としては3、4ヶ月使って撮影して、そこからいろいろ選んだり編集したりで、本になるまでにまた3ヶ月。結構長丁場になるけどその間の報酬はきっちり払うよ。月払いでも週払いでも、さんが望むままに」
「・・・・・・」
「もちろん撮影にかかる費用とかは全部俺が負担する。契約書もちゃんとしたところで作ってもらうし、原本はさんに預けとく」
「・・・・・・」
「・・・まだ、なんか不安なことあったら言って?ほんまに俺は、全部さんのええようにするつもりやから」
「・・・・・・」
何も、言えない。大倉はゆっくりとしたテンポで話すのに、その中身はものすごい勢いで先へと進んでしまっている。ついていけないのだ、何かを考えて理解する前に次の話題へと進んでしまうから。
まるで、追い詰められているみたいだ。
黙ったままカップを見つめるしかできない私に、大倉はふぅ、と息をついた。その顔を見ることはできない。隣同士に座ってよかったと思う。お互いの顔が見えないから。向かい合わせに座ったら、顔をあげなければならない。彼の目を見なければならない。それは、怖い。
「・・・さんのお母さんがそういう状態な時に俺とさんが出会ったのって、絶対意味あると思うし」
「・・・・・・」
こんな運命論のようなことを言うのは意外だった。インタビュー記事の内容や本人の印象からは想像しにくい。
「せやから、いろいろ不安とか心配事とか、あるかもわからんけど」
大倉は一旦言葉を切った。サイドテーブルにカップを置いて身を乗り出し、隣同士、絶対に向き合わないはずの私と目を合わせる。
そして、断言した。




「引き受けるよ。さんは、絶対に」




その瞬間、私は理解した。
『追い詰められているみたい』じゃない。
もう大倉は、とっくに私のことを捕まえているのだと。




「だって、」




そして、あとはもう、逃げないように固定するだけ。




「助けたいんやろ?お母さんのこと」




こんなにも、簡単に。
大倉は私を箱の中に閉じ込めた。




















「・・・明日、何してる?」
マンションの下、大倉が呼んだタクシーに乗り込もうとしたときにそう尋ねられた。
「・・・明日は、仕事です」
「病院行く予定は?」
「夕方から」
「そっか。じゃあ俺も一緒行くわ」
「・・・え?」
「薬代とかそういうの、ちゃんと聞いとかなあかんやろ?処置によってはもしかしたら転院とかもあるかもわからんし、そういう手続きも一人じゃ大変やから」
それは、当然のことかもしれない。出資する相手の状況を把握しておくことくらいは必要だろう。
だけど。
「・・・母に、このこと言いますか?」
「・・・このことって、契約のこと?」
そこだけなのだ、問題は。あんなに真面目な母が、こんな意味のわからない契約を受け容れるはずがない。どんなに説明したって聞く耳を持たないだろう。
それに何より、心配させてしまう。それだけは嫌だった。
「・・・・・・言いたくない?」
そう問う大倉に、うなずく。彼はしばらく黙ってから、「わかった」と応えた。
さんがそうしたいなら、俺は何も言わんし。・・・でももしなんかの弾みでばれても」
「わかってます。大倉さんのせいにはしませんから」
「・・・そう。じゃあ、仕事終わったら連絡して。病院どこ?」
「浜松にある市民病院です」
「オッケ。じゃあ連絡待ってます」
「はい」
そしてようやくタクシーに乗り込む。ドアが自動で閉まって、自宅の住所を伝えるとゆっくりと動き出した。
窓の外にいる大倉に軽くおじぎすると、彼は胸の辺りでひらひらと手を振った。



それも、すぐに見えなくなった。














20分くらいでタクシーはアパートの前に到着した。
ひどく眠い。まだ真夜中という時間帯ではないのに、体が重く感じて仕方がない。
タクシーのドアがまた自動で開く。
「おいくらですか?」
そう尋ねると、運転手は「先ほどの方から頂いてます」とだけ答えた。
「・・・・・・そうですか」
抜け目のないことだ。取り出した財布をバッグにしまって、お礼だけ言ってタクシーを降りる。
なぜだろう、何も考えられない。そんなにも疲れたのだろうか。しかし今日一日を振り返ればこの疲労は当たり前のようにも思えた。だから、とにかく休もう。
部屋に入ってもお風呂に入る気力すらもなく、顔だけ洗って布団に倒れこんだ。
今日は、疲れた。本当に疲れたんだ。
そして何を思い出すでもなく、何を考えるまでもなく、



私は眠りに落ちた。