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「うっそ!」 「・・・灰落ちた」 「うっそ」 膝の上に落ちた灰を適当に払い、幼馴染の編集者は煙草を灰皿に押し当てた。 「・・・ってことは、あの子表紙の今月号ももっかい販売できるってことに、なったり」 「了解取りましたよ」 「え、マジなん!?」 座ったまま小さなガッツポーズをする幼馴染を横目に、フィルターすれすれまで燃えた煙草を消す。するとまるでタイミングを計ったかのように注文していたスパゲティが運ばれてきた。 午後1時。昼休み中のこいつを呼び出したのは、編集部から程近いイタリアンレストラン。 そこで昨夜のことを、の母親のくだりは抜いておおまかに説明していたところだった。 「で、どうやって了解取ったん?」 「それは内緒やな」 適当にそう返すと「え、もしかしてやった?」などと真顔で言うから、思わずフォークを取り落としそうになる。 「・・・やるかアホ」 「色仕掛けで落としたんかなって思って」 冗談半分、なのだろうか。これを真剣に言っているとしたら本当に失礼な男だ。それとも、こいつは普段仕事のためにそんなことをしているのだろうか。女流作家の連載を取るために一晩共に明かしたり?・・・いや、そこまでプライドのない男ではないはずだ。そう思いたい。 「あんな子にそんなんやったら逆効果。警察行かれるわ」 「純情な子なんや、・・・えーっと、さん?」 「そう。いっぺん会ったんやろ?見た感じからわかるやん」 「あーたしかにそうかもな。全っ然遊んでなさそうな感じ」 「見たまんまやで。目ぇ合わすのも大変」 そう言いながら、昨夜のことを思い出す。下を向く癖のついてしまっている彼女。下ばかり向いているから、世間知らずで無知で、純粋。・・・だからやりやすい部分も、あったけど。 「そんな子がよぉ写真集の話に乗ったもんやな。やっぱ金?」 「・・・まぁ、金っつーか・・・人質っつーか」 「は?」 「冗談。まぁ、せやな、金でだいたいの人間って動くやんか」 「うわ、嫌な言い方。タバスコ取って」 「ん」 人質。言い得て妙だと自分で思う。あんなに卑怯なやり口で、その純情な彼女を抱きこんで。とは言っても騙したわけではない。金はきちんと払うつもりだし、それでの母親が延命できるというのならそれはそれでよかったと思える。寄付してやれるほどお人好しにはなれないけれど、働いた分だけ報酬を与えるというのなら抵抗はない。だから、俺は何も嘘はついていない。言っていないことがあるとしても、それは嘘にはならない。 「あんな純情そうでしっかりしてそうな子でも結局はそうなんやなー・・・ちょっとがっかりするわ」 ぽつりと呟くようにそう言うこの幼馴染にだって、そうだ。嘘は何一つついていない。 「・・・しっかりは、しとるんやろうけどな」 優柔不断だけど常識はある。たぶん、ここ一番の度胸もある。冷静さもあるだろう。実は彼女を説き伏せるために、昨夜紅茶に少しだけの酒を混ぜて彼女に渡した。安全策とはいえ、そんなあまりにせこい方法を取る程度には、彼女の警戒心が俺には見えていた。ちなみにその作戦は見事に成功、彼女は話の途中から眠たそうに何度も瞬きを繰り返していた。見た感じから酒には弱そうだったし、そもそも微量とはいえ紅茶の中に混じる酒の匂いにも気付かなかったくらいだ、もしかしたら酒を飲んだことだすらなかったのかもしれない。まぁそんなもの確認をすることはおろか、これは未来永劫、誰にも言えないことだけど。 スパゲティを二人して平らげ、ほぼ同時に煙草に火をつける。 「そういや大倉知っとる?ここ来月から店内前面禁煙なんの」 「そうなん?じゃあもう来られへんやん」 「まぁテラスやったら平気らしいけどな」 「寒いやんか」 ようやく話題が変わって、少し気が楽になる。能天気でやたら明るいこの男にしても、ずっと仕事の話を続けるのは疲れるだろう。俺にとってはただの昼飯の時間とはいえ、この編集者にしてみれば貴重な昼休みだ。とはいえ、さっきまでのの話題はこいつにとって仕事の話というよりは好奇心が刺激される世間話程度のものだっただろうけど、引いて見れば仕事のくくりに入るだろう。 それから煙草の話や他人の噂話などどうでもいい世間話を少ししていると、そいつの腕時計のアラームが鳴った。 「あ、時間なってもうた。俺戻らな」 「あぁそう」 「でもお前も編集部来るやろ?編集長が表紙オッケーの知らせ聞いたら大喜びやで」 「・・・せやな、なんにせよ知らせとかなあかんし。にしてもその時計どうなん」 「ええやんアラーム付、昼寝とかしとっても起きれるし。あと完全防水で、ストップウォッチ機能まであんねやで」 「そんな使わんやん、日頃ストップウォッチ機能とか」 「まぁ使わんけど。デジタルのがパッと見てすぐ時間わかるからええの」 そんな会話をしながら会計をして店を出た。晴天、だけど風は冷たい。 「・・・こんな寒い中で張り込みやら会見待ちやら、したくないやろ?」 そう言って幼馴染の編集者は笑った。こいつがデスクワーク側になりたがっていた理由が、ようやくわかった。 それから編集部で一連の流れを編集長に説明すると、彼は飛び上がりそうな勢いで喜んだ。そして軽い打ち合わせが行われ、彼女の写真集はこの出版社から発行されることとなった。もしだめなら自費出版するつもりだったが、向こうが是非にと言うのならば断る理由もない。本に関してのプロに面倒な部分は押し付けようと思った。幼馴染が当たり前のように話し合いに参加しているのが不思議だったけど、どうやらこいつはいつの間にか勝手に担当者の役職についていたらしい。 そうこうしているうちに時間は経ち、気付けば日は傾き始めて街が橙色に染まり始めていた。 ひとまず打ち合わせを切り上げ、喫煙所に向かう。 透明なパーテーションに囲まれた喫煙所で、昼間からずっとほったらかしだった携帯電話を確認した。まだからの連絡はない。 「なんか予定あんの?夜」 「・・・来とったんや」 「喫煙所なら俺も行くって言うたやん。お前置いてったけど」 「あぁそう?聞こえへんかった」 携帯電話を閉じ、火のついていない煙草をくわえたままライターを探す幼馴染に自分のライターを投げ渡す。それでようやく煙草に火をつけ、そいつは「なんか予定あんの?」と同じ質問を繰り返した。 「・・・打ち合わせ、的な」 「え、さんと?」 「まぁ」 「俺も行きたい!挨拶しときたいやん、担当者として」 「あー・・・・・・悪いけど後日にしてくれへん?」 そう答えると「・・・お邪魔ですか?」とまたにやつく。どうしてもこいつは俺をそういう目で見たいらしい。 「アホか。いろいろあんねん都合が」 「どんな?」 「・・・・・・人見知りっぽいから、あの人。俺にもまだ慣れてへんのにお前まで来たら頭パンクしてまうわ」 適当だけど、それもまた嘘ではない。 「・・・ふーん」 腑に落ちたのか落ちないのか、よくわからない返答をしてそいつは話題を変えた。 「でもすごいよなー。たった一日二日でここまで話進むんやで?なんかドキュメンタリー番組みたい、ヤラセの」 「確かにできすぎやんな」 「ほんまやで。さすが頭の回る人はうまく物事運ぶわ」 「・・・俺のこと?」 「当たり前や。ええ仕事持ってきてくれて感謝しとんねんで?一緒にきちんと仕事できんのも嬉しいし。中学生以来やんか、なんか共同作業すんのとか」 「珍しいやん、普通に褒めんの」 幼馴染は「ええやん、たまには」そう言って煙を吐き出す。窓から差し込む西日で、煙まで薄いオレンジ色に染まった。 「んでドラマとかだとさ、こういう真面目な話した翌日にどっちかが交通事故とかで死ぬよな」 「最悪なオチつけんな」 「ちなみに俺は死にたくないでーす」 「・・・ってことはなんやねん、俺んこと殺したいんか」 「うん」 思わず顔を上げる。 幼馴染と、目が合う。 次の瞬間、そいつは思い切り破顔した。 「なんつー顔しとんねん、嘘に決まっとるやろ!」 「・・・・・・」 「なんやねん、怒った?」 「別に」 「俺がお前のこと殺したがる理由ないやん!なんか心当たりある?」 「あるか、そんなもん」 幼馴染。適度な距離。喧嘩、一度もなし。こいつとの記憶をありったけ思い出しても、こいつが俺を殺したがる理由になりうる出来事なんてない。俺とこいつは、ただの子供だった。 「せやろ?」 相変わらずそう笑いながら、幼馴染は俺の肩を軽く叩いた。 「心当たりなんて、あるはずないって。俺にも覚えないねんから」 その肩への軽い衝撃が、なぜか妙に引っかかった。 「・・・・・・あのさ」 何かを言おうと思った。何を言おうとしたのかはわからない。だけど、何かを言わなければならないと思った。 しかしそれを遮って、携帯電話の着信音が鳴り響いた。 「あ、さんからちゃうん?」 そいつが顔を輝かせて言う。 「・・・・・・」 「何しとんねん、はよ出ろや。可哀想やん」 「・・・うん」 通話ボタンを押すと、相変わらず遠慮がちなの声。 『今仕事が終わったので、今から病院に向かいます』 「・・・そっか。じゃあ俺も向かうわ」 電話に応える俺を尻目に、幼馴染は煙草を水の張られた灰皿に放り込む。 「ま、頑張れや」 そして背中をばしっと叩いてそう言い残し、さっさと喫煙所を出ていった。俺はその後姿を見送りながら、なんだかすっきりしない感覚を覚えていた。 この時、だったのだろうか。 これから起こる様々な出来事を防ぐ最後のチャンスは。 この時俺があいつに何かを言えていたら、未来は変わったのかもしれない。 だけどもう遅かった。 透明なパーテーションに隔てられた、向こう側とこちら側。 |