彼の部屋はいつもより少し散らかっていた。もう昼間なのにカーテンも開けないで、智久はソファに座っていた。左側。いつも左側。私はその右隣に腰掛ける。
どこを見てるんだろう。顔を覗き込んでみても何も反応しない。私を見てもくれない。その視線は目の前に並ぶカップをぼんやりと捉えているみたいだった。
こういうときには、話しかけないほうがいい。付き合って3年、それくらいわかっている。だから私も黙って智久の隣で自分の爪を眺めていた。昨日ネイルサロンで塗ってもらったばかりの桜色のマニキュア。爪の先はベージュでフレンチにしてもらった。きっと、智久はこの色が好きだと思う。だから早く機嫌を直してくれればいいのに。早く自慢したくて、褒めてほしくて。



「・・・・・・



ぽつり、智久が私を呼んだ。



「うん?」



「ごめん」



「いいよ」



「・・・ごめん」



「いいって。それよりね、見て爪。桜色で春っぽいの」



手を智久の顔の前に差し出すと、智久は長く息をついた。



「・・・・・・まだ早いだろ」



「そう?だってもう暖かくなってきたしいいじゃん。しかも智久、こういうの好きでしょ?」



「なんでだよ」



「なんでって、もう知ってるよ好みくらい」



「俺なんも言ってないし」



「言わなくてもわかるよ、態度で」



「なんもしてないし」



「それでもわか」







もう一度、彼が私の名前を呼んだ。









「・・・・・・ごめんね、









もう、限界かな。
気付かない振りをして無理矢理会話をするのは、もう無理なんだね。









だって、私、ここにいないんだもんね。



























新しいネイルを自慢したくて、褒めてほしくて、智久に会いに行ったんだ。
気温が高めで、どこか、何とは言えないけど春の匂いも感じるような日で、すごく気分がよかった。
何より、これから智久に会えると思ったらそれだけで心が弾むよう。
もうすぐ智久の家に着く、最後の交差点で信号待ちをしている間も、今日はこの間負けたゲームの仕返しをしてやろうとか今日は何食べようかなとか、そんなことばかり考えていた。



だから気付けなかった、私を目掛けて地面を滑る、大きなトラックの影。



大きな音とタイヤの焦げるような匂いが全身を包んだ。痛くない。熱くも冷たくもない。空が見える。綺麗な、青空だった気がした。









それが、昨日の話。



























「・・・・・・智久」



私が呼んでも、智久は何も応えてくれない。聞こえてないから当たり前でも、少しさびしいな、やっぱり。そう思って苦笑いしてみるけど、それだって智久には見えてない。こうして隣に座っていることだって、気付いちゃいない。
大丈夫だよ、わかってる。



自分が死んでることくらい、わかってるから。



「智久」
そう、ずっと、わかってたんだよ。
智久が私のことをちゃんと愛してくれてたこと、わかってた。



優しく触れてくれたね。



一度も「お前」とか言わないで、きちんと名前で呼んでくれてたね。



この長い髪に指を通すのが好きで、髪が絡んだりしてるとちょっと不機嫌になる。



照れるときにはわざとそっぽ向いて、耳に触るとくすぐったがって笑うんだ。



嘘みたいに、嘘よりも確かに、二人でいると暖かかったよね。






智久といられてよかった。
智久と出会うために生まれてきたんだって思ってる。
智久もそう思ってくれていることも、知ってる。



知ってるよ、わかってる。



ごめんなんて、智久は何も悪いことしてないよ。智久が謝ることじゃない。
確かにまだ早いよね、二人で過ごすようになってからまだ1年しか経ってない。こんな早く別れなきゃならないなんて、思いもしなかったもんね。
だけど何も言ってないなんて言わないで。私が智久の言葉にどれだけ喜んで、どれだけ幸せを感じたか、智久にわからないはずがない。
何もしてないなんて、ありえない。抱きしめてくれたし、受け止めてくれた。
それに、智久が生まれたこと、そもそもそれだけで私には十分だったんだよ。









だから、もう泣かないで。









私は、幸せだった。
















「・・・智久」



「どこにいんの」



「いるよ、ここに。もういかなきゃいけないけど」



「・・・どこ行くんだよ」



「・・・・・・」



「俺のこと置いて、行くのかよ」



「・・・置いていくよ」



「なんで、・・・なんで?」



「・・・連れてなんていけないに決まってるじゃん」



「やだよ、俺は」



「・・・・・・・」



神様は、意地悪だ。



本当に、意地悪。



昨日、あの青空で、終わらせてくれなかったことを、恨みます。



智久を置いていかなくちゃいけない。
二度と戻ってこられない。
二度と、智久には会えない。



それなのに、



最後に見た智久は、泣いている。



瞬きをするたびに零れる智久の涙をぬぐうこともできないんだよ。
その頭を抱くこともできないし、お別れを言っても、智久には聞こえない。
何もしてあげられない、もう二度と、愛してると智久に伝えることもできない。



「・・・ごめんね、智久」



このまま、私はいなくなる。









愛してるんだよ、本当に。ずっとずっと、大好きだよ。



出会えてよかった。苦しいことや悲しいことなんて、智久と過ごした日々の中に思い出せない。



いつだって幸せだった。



忘れないよ、幸せだったんだよ。



だから大丈夫だよ、泣かないで。






泣かないで。



泣かないで。



泣かないで。









「笑って、智久」















生まれてよかった。こんな終わり方になるとは思っていなかったけど、智久に出会えただけで、私は生まれてきてよかったって思う。



だから、ありがとう。



だから、さよならだね。



愛してる。



「・・・愛してる」





































(03/22 何が辛いって結局誰も救われてないことだよね。反転させたらなんかあるかも。)