「月がキレイやな、今日。ちょうど半月やで」
丸山リュウヘイは窓を開けた。
ほぼ白に近い色の半月が、雲に邪魔されることもなく照り輝いている。
「いきなりやな。そんなこと言うキャラやったかお前」
そう答えたのは村上シンゴ。村上は丸山の言葉につられるように一瞬窓を見たが、彼の座っているソファからは月が見えなかったので、すぐに視線を雑誌に戻す。「俺は満月のが好きやけどな」なんとはなしに、そう付け加えて。丸山はそれに対し「血ィ騒ぐから?それやったら狼男やで」と少し笑った。
「・・・マル、寒い。窓閉めてや」
シャワールームへと続くドアから部屋に入ってきた大倉タダヨシは、頭にタオルをかぶせたまま開口一番そんなことを言った。しかしそのいでたちはというと、ジーンズだけを観につけ上半身は裸という姿。
「服を着てから言え、そういうことは」
村上は苦笑する。丸山もそれに続いた。
「そや。それに今換気しとんねん。この部屋すぐに湿気溜まるからな」
「俺シャツどこ置いたっけ」
村上と丸山の台詞など全く聞かずに大倉は軽く部屋を見回す。
丸山も丸山で、「シャワールームやろ」といいながら再び月に目を遣った。どうやら大倉がひとの話を聞かないのはいつものことのようだった。



この家には4人の男たちが住んでいる。
村上、丸山、大倉、そして今は留守にしているがもう一人、安田ショウタという男。
部屋はこのダイニングを入れて3つ。男4人が住むには手狭だが、互いにけして裕福ではない懐事情を考えれば、妥当というものだろう。
さて、その4人。見た目も性格も全く違うのだが、共通点が3つあった。
1つは、ある男に憧れてボクシングをしているということ。
彼らにとってのヒエラルキーの頂点、いわばカリスマ的なポジションのその男は、彼らとつるんではいるものの立場は全く違ったため、共同生活はしていない。
もう1つは、皆が一様に青いものを好んで身につけるということ。チームカラーのようなものだ。青色である理由は至極明快で、その男が青を好んでいるから。
そして、あと1つ。
彼らには家族がいなかった。
いや、かつてはいたのだ。しかしそれぞれに捨てたり、見切りをつけたり、捨てられた。それらは大きな差異だがどれであろうと結果は1つ。彼らには家族がいない。それだけ。
望んだか、望んでいないか、望まれていないか。そんなことに違いなんてないのだった。







「・・・・・・ん?」
丸山が眉間に皺を寄せた。
「どうしたん?」
村上がソファから腰を上げる。
「なんか聞こえる。・・・・・・怒鳴り声、みたいな・・・」
はたしてそれは怒鳴り声だった。
その声はだんだんと大きくなっている。つまり、声を発している人物がこちらに近づいてきているということだ。
「・・・・・・あれ、ちゃう?」
丸山の隣に移動してきた大倉が、家の正面の道の少し先を指差した。
人影。髪が長いシルエットをしているから、女だろう。
「待てよ!待てって!!」
しかしその声は明らかに男の声だ。間を置かずに女のあとからもう1つの人影が現れた。その位置関係や言葉などから、結論はすぐに出せる。



「追っかけられとるやん」



そう、女は明らかに追われていた。
そして、おそらく3人の中で一番夜目のきく丸山が少し声を低くした。
「・・・つか、追っかけてきとるん・・・あれ田中やんか」
まるでその名を口にすることも嫌悪するかのように顔を歪める。正しく言えばそれはまるで、ではなくまさに嫌悪そのものだ。
丸山たちは、『BLUE』。田中が属するのは『RED』。理由はそれで十分。つまり、完全なる敵対勢力である。
対立するチーム同士は、常に互いの邪魔をしあう。
それを前提とするならば、村上達の次の行動は決まりきっていた。
3人が立つ窓の真横には玄関がある。村上はそちらに移動した。
「タイミング、言えよ」
丸山と大倉は頷き、田中から追われている女へと焦点をずらした。
女はまっすぐこちらへ走ってくる。小柄なようだが意外と足は速い。




丸山が優れた夜目を持っているなら、大倉は優れた動体視力を持っていた。
夜目は暗い場所でも物が見えるということ。もしくは暗闇に目が慣れるのが早いということ。
それに対し、動体視力は動いているものをはっきりと捉える事ができるということ。それは訓練で鍛えられるものであるが、意識して働かせるものではない。



しかしどちらにしてもそれは『物を見ること』。
普段、物を見ることに意識を向ける人間は少ない。2つの眼球が勝手にピントを合わせるのだ。
それはどういうことか。つまり、目を開けている以上、『見ずにはいられない』ということ。



タイプの違う視力に優れている二人は、同じ一人の女を見ていた。だが、見方が違った。



丸山は村上とタイミングを合わせるために女の体全体に焦点を合わせていた。
それに対し大倉はその動体視力という性質のために無意識に女の顔に焦点を合わせていた。





「・・・・・・え?」
「今や!」



女の顔を視認した大倉の呟くような声は、丸山の勢いのいい声にかき消される。
村上は丸山の声を合図にドアを開けた。





















どれくらい走っただろう。
腕時計を見ても、走り出した時刻を確認していないのだから意味はない。
だけど確実に10分は走っている。たかが10分でも、100メートルを走るような全力疾走で走り続けるには長い。
警察はあてにならない。人の多いクラブなどに紛れ込もうにも、万が一入り口で待ち伏せでもされてしまえば袋のネズミ。なにより、には目的はあっても目的地はなかった。ゴールのないレース。限界は近かった。
相変わらず坊主頭の男は「待てってば!」や「頼むから止まれ!」などと時折大声を出す。走りながら大声を出せるだけのスタミナが、まだ向こうには残っているということだ。頼まれても止まるわけには行かないけれど、追いつかれてしまうのも、時間の問題か。



そのとき。



「こっち!」という声とともに腕を掴まれて身体を真横から引っ張られる。走ることに集中しすぎた体はその勢いに対抗できるはずもなく、は引き摺られるようにしりもちをついた。
パタン、と目の前でドアが閉まる。



しばらく立ち上がることもできずには下を向いてただ呼吸を整えることに専念しなければならなかった。
まったく、こんなに全力で走ったのはいつぶりだろう。もしかしたら初めてかもしれない。それくらい疲弊していた。酸素が圧倒的に足りない。
思考すら息切れを起こして、何も考えられない。
そんなの隣にしゃがみこんで背中をさすりながら「大丈夫か?」と声をかける村上に、カーテンを閉めながら丸山は「背中さするのは違うんやないの?」と少し笑った。
大倉は・・・・・・大倉、だけが。
を見つめながら微動だにせず、ただ立ち尽くしていた。
「はぁっ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・」
「大倉、水持ってきたってや」
どうにか呼吸を整えながら、は状況を分析する。
どうやら歩道に面した建物の1つに引っ張り込まれたようだった。下を向いているせいで自分の髪が顔にかかってしまい、部屋の様子や会話している男たちの顔は見えないけれど・・・助けてもらった、と考えてもいいものだろうか。それはまだわからないが、この部屋の緩やかな空気はその考えを肯定へと導く。
・・・ひとまず、安心か。



「・・・大倉?」
動こうとしない大倉に、丸山は首をかしげた。
「大倉、どうしたんや」
村上も大倉の様子がおかしいことに気付いて立ち上がる。
大倉は、顔色を悪くしながらその名をようやく搾り出した。



























「    カホリ    」























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