横山には、毎日のシャワーの時間に、その日の出来事を大まかに頭の中で整理するという習慣があった。




今日は、午後から渋谷の練習場を訪ねた。
最初こそ映画の話を突っぱねていた渋谷だったが、練習場に通い詰めて3日目の今日になってその姿勢が少し変わってきた。
「映画はどんくらいの時間があればできるんや」
そんな質問をぶつけてきたのだ。
「そりゃ渋谷さんがこの話を受けてくださったら、すぐにも撮影開始しますよ。早めがご希望なんやったら、人員も予算もちょっとくらいオーバーさせてでも急ピッチで仕上げてみせます。ただ、なんにせよまずはあなたの判断待ちなんですけどね」
だから横山はそう答えた。
渋谷は横山との間に挟むテーブルを見つめる。



「・・・・・・・俺の映画ができたらな、観たいって言うとるやつがおんねん」



そして吐き出された渋谷のその言葉に、横山はほぼこの交渉の勝利を確信した。



渋谷スバルの映画を観たいと言ったのは、間違いなく渋谷の弟であるユウタだ。
渋谷は唯一の肉親であるユウタに弱い。ユウタは心臓が弱い。ユウタの人生の残り時間は、おそらくそう長くはない。
それくらいのことは、最初に渋谷を訪ねる前からきちんと調べてある。事前調査を怠ってうまくいく交渉など、ありはしないのだ。その点横山は内の情報収集能力を存分に使い、生まれた場所から生年月日から家族構成から、とにかく何から何までを徹底的に調べ尽くした。
だからこその、確信。
ユウタがそう言うのなら、渋谷はその通りにするだろう。そのために、ユウタのために、急ぐのだろう。・・・渋谷は、この映画の話を、受けるだろう。





全ては横山の、予定通りに。




もちろん横山はそんなことおくびにも出さないが。
「それならやるべきですよ、渋谷さん!あなたの映画を観たいと言ってるひとがおんねやったら、その理由で十分やないですか。そのひとのために、あなたはあなたの映画を製作するべきなんですよ!」
・・・そんな風に、熱く語ってみたりして。



ユウタの名前は横山からは出さない。渋谷にとってのユウタというのは、最早聖域と呼べるほどの場所だ。そしてそれは同時に地雷でもある。したがって、下手にユウタの名を使って交渉するのは逆効果。
それに、手の内を全て見せる必要もない。切り札は隠し札。保険としてでも、そんな重要な情報はきちんととっておくべきだろう。いざというときにそれを出せば、あっという間にチェックメイト・・・それこそが切り札の役目だ。





そして、横山の渋谷への切り札は、ユウタの他に、もう一つある。





ただ・・・・・・それはまだいい。
これはまだ、渋谷本人すらも知りえない情報なのだから。
だから、これは交渉には使えない切り札。
では何に使える切り札なのか。



その使い道を、横山は決めあぐねていた。



わかっているのは、これはそうそう簡単に使ってはいけない、とっておきのカードだということ。それをあまり早く披露してしまうのはもったいない。これは、そんなに安い情報ではないのだ。勿体つけて焦らしてすかしてかわして、大事にとっておかなければ。
これを使う瞬間は、きっと直感のように突然やってくるだろうから。






渋谷は眉間に皺を寄せたまま、「・・・明日までには答えを出す。もう少し考えさせてくれ」と力なく言った。
わかりましたと言って横山は練習場を出たものの、確信した勝利は最早揺らぐ事はなかった。















そして、夜。
あの少女と、出会った。
出会ったというよりは横山が一方的に見かけた・・・いや、見つけた、というべきか。



横山は彼女を、数年前から既に知っていたのだから。



とりあえず撮った写真を使い内に情報収集をさせてはいるが、横山は彼女に関しては8割方知っていると言っても過言ではなかった。内が聞いたら憤慨するだろう。だから言わない。
・・・ただ、意味もなく内に情報収集をさせているわけではない。
横山は彼女に関しては8割方知っている。
だから、残りの2割を知りたいのだ。
最後に彼女を見た数年前から、現在までに何が起きたのか。何故彼女がここにいるのか。
・・・何故彼女が、ここに、来ることができたのか。



一方、彼女は横山の存在を知らない。見たこともないだろう。



そう、 見たことなんて、 あるはずがないのだ 。



だからこそ、横山は内に言った。「間違いなく、今までで一番楽しいことが起きるで」と。その言葉は、渋谷の件と同様、確固たる確信を持って口にできる。



何故なら、すでにそれは・・・『楽しいこと』は始まっているのだから。













コックを捻り、シャワーを止める。
正面に掛けられている鏡。そこに映る自身の顔。
誰かと一緒にいるときには必ずつけている仮面を外した、誰も見たことのない、ありのままの素の表情。



楽しそうに、歪んでいた。



「さぁ・・・終わりを始めましょうか」











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