「あ?」



部屋に戻った安田はぽかんと口を開けた。
同部屋の大倉の姿がないのだ。
眠くなったとか言って先に戻ったはずなのに、敷きっぱなしの布団はもぬけの殻。



「今寝とかんと夜きついでー・・・」



居もしない大倉への忠告を呟いて、自分の布団へうつ伏せに倒れこむ。
腹の下でカサリと音がした。



「・・・・・・何?」



腹と布団の間に手を突っ込むと、紙の感触がした。














































「返すんですか?さんのこと」



渋谷は母屋に入ったところで聞こえたその声に足を止めた。



「赤西んとこ、返すんですか」



大倉が扉の真横に背中をつけて立っていた。



「・・・・・・返すってなんやねん、ただの身請けや。そないにあいつが特別みたいな」
「特別やないん?旦那これまでさんの身請け話全部断ってきたやないですか」
「・・・・・・それは、客の積んだ金が足らんかったからや」
「毎月毎月、安田使って赤西んとこに手紙送っとったくせに?」
「・・・・・・お前は知らんかもしれんけどな、あそこの大旦那は10年以上前からうちのお得意さんやねん。そらこれからもご贔屓にいうて、手紙くらい」


「赤西んとこの大旦那は、3年前に死んでますよね。俺そんくらい知ってますわ」



回答は、さらに即答で返される。
この男はすべて知っているのだ。
渋谷はぐっと拳を握って息をついた。



「・・・・・・どこから聞いた」
「ここで知ったわけやない、とだけ」
「・・・・・・最初から、」
「ええ、ここ来る前から知ってましたよ。・・・むしろ、俺がここに来たのはさんのためです」



大倉は壁から背中を離して、渋谷の正面に立つ。



「・・・・・・お前、何者や」
「待っとったんでしょ?赤西がさんのこと迎えに来るの」



渋谷の質問には答えず、大倉は問い返す。



「俺はそれだけは阻止するために、ここでずっとさんのこと見とったのに」



その言葉に、渋谷は大きく目を見開いた。








































赤西屋。
大きな大きな、呉服屋さんらしい。
その呉服屋の大旦那は大変な好色家で、妻を迎えてからも花街にしょっちゅう足を運ぶだけでなく、従業員にすら手を出す始末。
妻は夫のそんな姿を見てもなにも言えず、ただ主不在の多い呉服屋家業を女だてらにきりもりすることだけに人生を費やしていた。



ある日。
呉服屋を、一人の女が訪ねてくる。女は子供をその腕に抱えていた。
大旦那の愛人を名乗ったその女は、白昼堂々店先で生活費だの養育費だのを要求し始めた。
商売の邪魔をされてはたまらない。妻はその場で女の言う金額を支払った。そうすると、驚くほどすんなりとその場は収まったのだった。



二年後、妻に子供ができた。健康な女児が生まれた。
しかし生まれたその子供を見た夫婦は落胆した。
赤西屋は繁盛しており、この先も続けていくべきもの。
跡継ぎにもならない女児など、必要がなかったのだ。
しかしその後何年間、どんな薬を飲んでもまじないをしても、夫婦の間に子供ができることはなかった。



そして夫婦は、一人の男児を養子として迎え入れた。



利発そうな、整った顔をしたその男児は、二年前に赤西屋を訪ねてきたあの女が腕に抱えていた子供だった。
彼の母親は二年前の倍ほどの金額に、喜んでその子供を手放したのだった。



男児は賢かった。
教えることをすんなり飲み込み、一要求すれば二やってのける、そんな子供だった。
跡継ぎとしてこれ以上なくふさわしい子供を迎え入れたその家に、実の子供であるはずの女児は完全に不必要となった。
女児は義理の兄である男児にいやに懐き甘えるし、男児は男児で義理の妹である女児を可愛がっている。それすら煩わしかった。



だから、手放した。



大旦那が通いつめていた花街の店の店主に、絶対に花街の外に出さないという条件付で、ただ同然で売り払ったのだ。
10歳にして十分すぎるほど整った顔立ちをした少女を、店主は一も二もなく喜んで引き取った。



そして兄妹は、離れ離れになった。










「9年前の、俺とお前の話だ。だけどもうそんなこた関係ねぇ。。お前を迎えに来たんだ。お前はここを出て、俺と一緒に帰る」



話を終えて、男は言った。
私は物語を聞かされているような気分で、曖昧に頷いた。
だって、そんなことがあるだろうか。目の前にいる赤西仁というこの人が義理の兄で、有名な呉服屋の現在の主で、私を迎えに来ただなんて。


この町から、出る日がやってくるなんて。



「・・・・・・信じらんない?」



黙ったままの私を、赤西は見上げるように覗き込む。
この人が、兄。



「・・・だって、そんな、私は何も覚えていないですし、」
「薬のせいなんだって」
「・・・」
「お前を俺から掻っ攫ってこの店に運ぶまでの間に飲ませた薬のせいで、お前は記憶をなくした。まぁ一種の毒薬みたいなもんだったらしいけど・・・見る限り、その後遺症なんかもないみたいだな」



赤西が、やわらかく笑う。



「・・・よかった」



そう、言って。



その瞬間に、何故だか。
納得してしまった。わかってしまった。この人は、嘘なんてついていない。この人は、確かに私の中にいた人だと。
そして、涙がこぼれた。
わけもわからないまま、ここに来て初めて、私は泣いた。



「また泣く」



赤西は可笑しそうに笑って、私の頭に手を置いた。









































「大倉」



渋谷でもなく、もちろん大倉のものでもない声が響いた。



「・・・あれ、やっさん。聞いとったん?趣味悪いわー」



大倉は振り返り、いつものようににこっと笑った。安田は笑わない。



「お前、赤西屋の人間やったんやな」
「・・・なんでそう思ったん?」
「これ」



安田は四つに畳まれた、古く黄ばんだ紙を取り出した。それを開いて、読み上げる。



「『一つ、己の素性を誰にも明かさない。一つ、赤西の監視を怠らない。一つ、」



「『赤西が外界に出るような事態になれば、どんな手段を使ってでもそれを阻止する』」



最後の一項目は大倉がそらんじた。
そして、ふふっと笑う。



「やっさんってば重ねて悪趣味やな。人の荷物漁ったん?」
「わかるように置いといたやろ」
「そうやったっけね」
「・・・大倉、お前」



眼鏡の奥の目を見開いて、渋谷は大倉を見つめる。
ちょうど、渋谷が18歳のときに死んだ前店主からこの店を引き継いだ頃に、大倉はふらりと現れた。
『行くところがないんです、ここで働かせてください』
そう言って、必死に頭を下げた。
母親に捨てられて、このままでは男娼に売られてしまうと言って、涙ぐみながら頭を下げていた。
あれが全部、嘘の演技だったというのか。まんまと騙されて、自分はこの男をのそばに置き続けてしまったというのだろうか。



「・・・旦那、そんなに睨まんといてください。俺な、こんなこと言うても旦那には嫌われたくないんです」
大倉が少しだけ眉を下げる。
「嘘の身の上話やったけど、それ信じて同情してくれてここ置いてくれて、飯も食わしてくれたしいろんなもんくれた。ほんまに、旦那には感謝してるんです」
「・・・・・・お前、になんかするつもりか」
「・・・・・・ほんまはね、やっさんが持ってるその誓約書、もう何の意味もないんですよ。俺を雇っとったんは赤西屋の大旦那。その大旦那も3年前に死んだ。だからこそ赤西はさんのこと迎えにくることもできたわけやし、その時点で俺は御役御免なんです」
「それなら」
「それでも」



大倉は渋谷の言葉をさえぎって、韜晦するように目を細めた。



「それでも、を赤西なんかにはやりたない。俺はね、旦那ややっさんみたく、そいつの幸せのためならなんて好きな女手放したり、できないんですよ」








































「だけど、俺は妹としてお前を赤西家に連れて帰ることはできねぇ。俺たちは、兄妹じゃいられないんだ」


赤西は言った。



「今はこれしか手段がない。クソ親父が死んで3年経つ。先月、あの女・・・お前の母親も、病で死んだ。赤西屋は完全に俺のモンになった。だけど従業員には俺やお前のことも知ってる古株がいる。そいつら、噂話がめちゃくちゃ好きでさ、俺も結構困ってんだけど・・・そんなやつらの耳に、花町に売られたお前を買い戻したなんて入ったら面倒なことになる」



話は理解できるけれど、だったらどうしようというのか。それがわからない。私は赤西屋で彼とは他人の間柄として従業員として働くことになる、と言いたいのだろうか。その待遇を先に詫びておこうとでも、いうのだろうか。



「だからな、



赤西はまっすぐに私の目を見つめた。


















「俺たちは、夫婦になる」


























(09/07 え、続くの?って感じなんですけど、そんなことわたしにもわからないっていうのが正直なところです。大倉の出番はこれでもだいぶ削りました。これでもね。
やーーー大変お待たせしまして!申し訳ありませんでした!以上です!ありがとうございました!!
)