気持ち悪い。
この部屋が、気持ち悪い。
今日を迎えに来て初めてこの部屋に足を踏み入れたときからそうだった。
異様に高い湿度。それに対して低い温度。寒いサウナに入っているような、気持ち悪さ。
は何とも思っていない・・・むしろ気付いてすらいないようだった。




あいつの腕の中にいる、



このままでは連れて行かれてしまう、だろう。
が俺を選ばない限り、そうなることは必然。



それじゃ困る。
気付いたんだ、むしろ気付かされたというべきか、とにかく。






は、出会ったときから変わった女で。
何が楽しいのか楽しくないのか、判断しにくい無表情。
近寄りがたいのかと思えば、意外と気さくで抜けてるところもあって、やさしくって。
打算のない女だった。隠し事もしないし、演じることもしない。相手にもそれを求めていない。だから、優しくすると少しびっくりしたような表情を浮かべたりする。
付き合いだしてもは変わらず、だから俺も何も変わらず、自然体のままで一緒にいられた。そんな女はこれまでいなかった。
これでいいんだと思っていた。何も疑わなかった。今となってはなぜ気付かなかったのかわからない。だけどあのときには気付いていなかったこと。
それは、が本当はすごく寂しがりやだということだ。
好きだという台詞をに言ったことがなかった。
それは照れもあったけど、何より『ならわかっているだろう』と信じ込み、慢心していたから。
言わなければ伝わらないことがある。それはわかっているけど、伝わっていると思っていた。



だけど実際はそうじゃなかった。



全てが思い込みだったのかもしれない。
『何が楽しいのか楽しくないのか、判断しにくい無表情。』確かには表情に乏しかったけれど、楽しいことやつらいことを感じないはずはない。ただ、俺がそれに変化するの表情に気付いていなかっただけじゃないのか?
『近寄りがたいのかと思えば、』それだって凝り固まった先入観。近寄りがたいと思ったのは俺だけなのかもしれないし。
『打算のない女だった。隠し事もしないし、演じることもしない。』それは、ただの俺の理想だ。が隠し事をしていないと、なんでわかる?隠し事をしているということを隠していたとすれば。事実、は寂しさを隠し続けて・・・






違うか。



それにも、俺が気付かなかっただけ、だ。




『相手にもそれを求めていない。』そんなことは、俺が決めることじゃない。求めていたのかもしれない。それともやはり求めていなかったのかもしれない。そんなの、わからないだろうに。俺がそうありたいから、がそう思っているに違いないと都合よく決め付けて。

何もわかってなかった。
結局は、何もわかっていなかったんだろう。





に別れを切り出された夜、俺は理由も聞きもせずに部屋を出て行くの背中を見送った。
振り返ったら引き止めよう。そう思っていた。は振り返らなかった。だから俺は引き止めなかった。
そうやって、のせいにして。
理由を聞くのも、別れを拒否するのも、引き止めなかったのも、それが格好悪いと思ったからだろう。
そんな風に自分のプライドを優先してを傷つけて、その結果がこれだ。





爺ちゃんが俺に言っていた。
『ああいうもの』は、寂しいと思っているひとに近づいてくる。
満たされたひとには近づいてこない。
『あれ』は寂しがっているから、その寂しさを共有できるひとに近づいてくるのだと。

だとしたら、  やっぱりは、寂しくて。
『あいつ』も、寂しくて。
共鳴、してしまって。





だから、俺が繋ぎ止めないと。


を死なせない。それが今の俺の一番大事な仕事だ。





、」



名前を呼ぶ。



行くな。そいつと一緒に行ってはいけない。



世渡りが上手なくせに、だけどどこか、生きにくそうに生きている。あまりこの現実を好きじゃないんだろう。
だけど、俺の家には一枚の写真がある。一枚だけの、俺とお前の写真。
その中で、お前は笑っている。
楽しそうに、ちゃんと生きている。
今度見せてやるから。



「こっち来いよ」



「錦戸・・・」



が涙を流す。
表情は変わらない、切なそうな、悲しそうな表情。



だけど、わかった。やっと、わかった。
は今少しだけ、微笑んだ。




「・・・仁、・・・・・・・・ごめん」



あいつはのその言葉を聞いても、その体を抱きしめて離さないまま。
「・・・結局も、俺んこと置いてくのかよ」
「・・・仁」
「なんでだよ。なんで俺じゃダメなんだよ。死んでるから?そいつは生きてるから?」
「違うよ、そんなのは・・・関係ない」
「また寂しくなるだけかも、しんねぇのにさ」
「・・・・・・」
「そんなんやなんだよ。が、  俺の惚れた女が寂しがるのとかやなんだよ、それくらいならもう!」

最後のほうはほぼ叫びに近かった。
二人(・・・二人?)の足元に水たまりが広がっていく。



「それくらいなら、もう・・・俺のそばにいてくれればいいじゃん。俺、お前のこと守るし。寂しい思いとか、絶対させないし」



「・・・俺かて、・・・俺かてのこと守る。寂しい思いなんて、二度とさせへん」



これは、ではなくあいつへ向けて言った言葉だった。
あいつがのことを本気で好きなことがわかったから。好きだから、自分と一緒に来てほしい。
わかる。俺もあいつと一緒だ。俺とあいつの立場が逆だとしたら、俺はあいつと同じ行動に出るだろう。



「お前に俺のこと認めろとか信じろ言うても、無理な話やろ」
だって俺は一度の手を離してしまった人間だから。
「だけど俺には、そうやって言うしかできひんねん。俺はを守る。を寂しがらせたりせぇへん」


嘘じゃない。


嘘になんて、絶対しない。









「だから、  頼む。   のこと、返してくれ」