体温がぐんぐん下がっていくのがわかる。あたしの身体と、それに回されているゴンの腕の温度が一緒になっていく気がした。ゴンには温度なんてもの、存在しないのに。
一緒に来て、と言ったゴン。それはつまり、あたしに死ねと言っているということだ。どうやって?このまま痛みもなにも感じず、冷たさどころか温もりすら感じそうな距離のまま、そっとあたしの魂をこの身体から引き抜くのだろうか。それともあたしは自殺をしなければならないのだろうか。4階のこの部屋の窓から飛び降りたところで死ねるとは思えないから、たとえば包丁で自分の胸か首を、    
・・・それは 怖い、な。






「ゴン、」



「仁」



「  、」



「俺のー、名前。仁 だから」



「・・・なんで、思い出したの?」



「嘘」



「は?」



「忘れたとか、嘘 」



「なんでそんな、嘘 ついた?」



首をかしげた拍子に、前髪から水がぽたり、垂れた。
その水滴は彼の手に落ちた、と思ったのに、その手をすり抜けて床に落ちた。



それを見た瞬間に、 ああ、現実だなと。
わかっていたはずなのに、なんだか目眩がした。




「えー・・・なん となく? なんか、出てこなかった 聞かれたときに」



「なにそれ」



小さく笑った。ゴン、もとい仁も笑った。



「なんか一文字違いで惜しかったよな、ゴンと仁。だからそんなに呼ばれても違和感なかったし」
「なかなかあたしはカンが鋭かったわけだ」
「オメ、最初ポチにしようとしてたじゃねぇかよ」



また笑う。



なんか、しあわせ みたいな光景だった(二人ともがずぶ濡れなことを除けば、だけど)。





笑い止んだ仁は、長く長く息をついてから



「ありがと、

と囁いた。








「俺 すげぇ   幸せ、だから」











彼と一緒に    逝こうか?











溢れるように涙が流れたのは、仁も同じことを考えていたことと、彼が本当に幸せそうな優しい声をしていたことと、その声が震えていたことに気付いたから。














仁が訪ねてきた夜のことが突然脳裏に甦ってきた。
ずぶ濡れだった彼(今ならわかる、彼は泣いていたのだと。泣きながらあたしの家のチャイムを鳴らしたのだと)、それを拒絶したあたし。だけど彼はドアを抜けて勝手に家に上がりこんだ。そしてバスタオルとクッションをびしょびしょにして、挙句一緒のベッドで眠ったのだ。フレンチトーストが食べたいと駄々をこねて、だけどうちにはパンがなくて、大学から帰ってきてから作る約束をして。そして大学に行ったら錦戸に「セフレか?」なんて揶揄され て 、

















「  錦戸 ?」
















錦戸。錦戸 亮。なんだろう、この違和感。まるであたしの人生に、錦戸という人間なんて始めから登場していなかったかのような。
「 錦戸   」
思わず言葉に零れてしまった、それくらい衝撃だったのだ。今の今まで、錦戸があたしの中から完全にいなくなっていたことが。





「・・・・・・なんで、」





仁が低い声で呟いた。





「なんで思い出すんだよ」



「  仁?」



「俺のことだけ、考えててよ」



「  じ、」




「そうじゃないと、」










































「そうやないと、連れていかれへんからな」





































部屋の温度が少し上がった。
息を切らせた低い声に顔を上げる。同時に、仁の腕の力がぎゅ、と増した。



「・・・・・・邪魔なんだけど お前」
「邪魔しにきたんや」
「  なぁ 錦戸クン」
「気安く呼ぶなや」
 ちょーだい」
















「俺に、 ちょうだいよ」













頬を伝ってきた水が冷たい。寒さという感覚が戻ってき始めているのだ。だけど体の内側から何かに押さえつけられているように、身動きはとれない。仁があたしを閉じ込めている?違う。振りほどこうと思えばできるはず。この腕の中で身動きをとらないのは、あたし自身だ。











「あかん」
















「お前なんかにはやれへん」
そう吐き捨てる錦戸と、舌打ちをする仁。まるで今朝の光景をもう一度繰り返しているような感覚だった。今朝。今朝の話なのに、なんでこんなにも遠く感じる?
「なんで?オメー所詮元カレじゃねーかよ。いらねーから別れたんだろ」
「   、違う」
「は?」
のこと、いらんとか 思ったことなんてない」
「・・・・・・・・・じゃ なんで別れたの」
「   なぁ。なんでやろな。アホやった」
「 んだソレ、」
「ホンマは、」














「ホンマは、めっちゃ好きやのにな  のこと」















錦戸と別れた夜。・・・そうだ、確か、あたしから別れを切り出した。
きっかけはなんだった?
浮気されたわけじゃない。錦戸はそこまで器用な人間じゃなかった。
自分勝手で上から目線で、そんな彼と対等に会話をするのが楽しくて。馬鹿にしているようなことをすぐに言うけど、それが本気ではないことはよく知っていた。



だけど、










だけどなんだか、寂しかった。









寂しかった?





そう、寂しかった。










そこまで必要とされている気がしなかった。『好き』となかなか口に出してもらえなかった。あたしじゃなくても彼はきっと大丈夫なのだと、どこかで思っていた。










本当は、



あの夜、引き止めてほしかった。



追いかけてきてほしかった。








好きだと 言ってほしかった。






















「好きやから、のこと。  だからお前に持ってかれたら困んねん」














ぱたり、ぱたり。一度止まった涙がまた零れる。冷え切った頬に温かかった。




















(01/22 どうしよう)