・・・この部屋湿度高くなってねぇか?
玄関のドアを開けてそう思った。




もし
これでゴンがいなくなっていたら、




ブーツのファスナーを下ろしながら考える。
自分はどう感じるだろう、と。
安堵、混乱、寂寥 ?
・・・寂寥ねぇ。
だいたい深夜突然訪ねてきてバスタオルと座布団カバーを消耗させてベッドを狭くさせて寝坊までさせてくれて、
(寝坊はゴンのせいだ。絶対そうだ。  と信じる)
いいことなんてなにひとつ起こしていない幽霊がいなくなったところで、果たして寂しさなんてものを感じるだろうか。
出会ってから というか勝手に入り込んできてから14時間、一緒にいた時間だけを数えれば12時間弱といったところか。
そこまで情が移りやすい性格とは思わない 自分自身としては。
ただ20年もの間、
言ってみればあたしが生まれてからここにこうして立っているこの時までもの、途方もない時間(だと思う、これから先それ以上の時を生きていくのはわかっているけれど)、ずっとずぶ濡れのままひとりきりでいたことに、
感じる事が、なかったわけではない。







「おっかえりー」



本人めちゃくちゃ普通に迎えてくれたけど。


















牛乳、卵、砂糖を混ぜてそこにパンを浸す。
びたびたになったパンをフライパンで焼いている間中、ゴンは台所の隅っこでわくわくと待っていた。
「おー!めっちゃいい匂いしね?」
「もうすぐできるから向こう行ってなよ座ってなよ」
「なーんーでー!」
「見られてるとやりにくいんですよー」
「ちょっと焦がしたほうがいいって、そっちのがウマイ」
聞かないし。
ゴンは、あたしが帰ると玄関までお出迎えしてくれた。
部屋が水びたしになっているんじゃないかという講義を受けている間からのあたしの心配は杞憂で済んでいたし、留守の間に部屋をいじった形跡も特になし。まぁ問題はないだろう。(ただ部屋の湿度は上がっている、絶対に)
ゴンはずぶ濡れどころか湿ってもいなかった。
夜中と出かける前にはあまり意識しなかったけれど輪郭もしっかりしているし顔色もいいし、まるでそのまま生きている人間のようだ。
だけど、短い廊下の間にある、どんなにそっと歩いても足音がしてしまうスポット(多分床の下に小さな隙間があるのだと思う)、
そこを通る時だって、ゴンは足音を立てなかった。
それはまぁ、それだけのこと、なのだけれど。



メープルシロップをかけたフレンチトーストには、リクエストどおり少し焦げ目を多くつけてある。
彼はそれを見て喜んで、食べて喜んだ。



「な、お前 名前」
2枚のフレンチトーストを平らげて、ゴンが訊ねた。
「え?」
聞き返してから、  ああ 名前言ってなかったか、と思い当たる。
「  。 好きに呼んだらいいよ」
な!オッケー、  !」
「はいはい」(やっぱり呼び捨てだった)
ゴンは・・・ゴンのままでいいか。なんだか本人にも定着してるみたいだし。
「なぁ
「呼びすぎじゃない? なに?」
「メシ、食わねーの?」
あたしはなんだか食欲がわかなかったから、2枚焼いたフレンチトーストは2枚ともゴンに食べてもらった。
講義が始まる前のブレンドコーヒーから何も口に入れていないから、おなかは空いている。おなかは空いてるけど食欲がわかないなんてことはよくあることだ。
おいしそうにフレンチトーストを食べるゴンを正面に座ってぼんやり見て まぁいっか と思っていたし。
「  うん、食べないよ」
「だーめよーきちんと食べなきゃさ、風邪ひく」
幽霊に説教喰らっている人間。人間に正論を説く幽霊。なにかがおかしい。
「風邪ひきやすい季節だべ、きちんと食べて、栄養摂って!」
風邪怖いらしいじゃん、下手いったら死ぬってゆーし  って俺が言ってもな   なんて、笑いながら言う。



「   ゴンがいれば平気」
だけどそうあたしが言うと、ゴンの笑顔は消えた。



「  ・・・・・・  え ?」
長い間を置いてそれだけを呟いた顔は、驚いた表情、ですらなく。
全てが抜け落ちたような。
全てを忘れてしまったような。
全てがゼロになってしまったような。
まるきり 無 の。



その表情を見て初めて
初めてゴンを   『彼』 を、



怖い と思った。







「   ・・・・・・ 看病、してくれないの?この家に居座っておいしいフレンチトーストまで食べさせてもらっといて!一宿一飯の恩って知ってる?」

沈黙と その感情を 打ち払うように、あたしは茶化した物言いで言った。



ふ、と『彼』 が ゴン に戻るのがわかって、あたしはそれこそ 安堵 した。



「      え、あ、  そりゃお前 するって!するに決まってんじゃんもー」
「ですよねー?そう答えなきゃ追い出すところだったよ」
「いや!怖!」
怖いのはお前だよ。
そう口に出す事はできなかった。









お皿を洗ってから、明日はお弁当を持っていこう とお米をといだ。
ゴンは乾かした座布団カバーを同じく乾かした座布団にかぶせ直している。
もうあの座布団はゴン専用の物だな。
そう思いながら、炊飯器のタイマーを明日の朝7時にセットして、スタートボタンを押した。



結局あの表情がなんだったのか、
そんなこと考えたって仕方がない。ゴンにしかわからないし、ゴンに聞いてみることなんてもちろんできない。



お風呂はいってくるねー。
と言えば いってらっしゃーい と元気な返事。






知らない方がいい気がするから、それはきっと、知らない方がいいということで。



それもまぁ、それだけのこと、なんだろう。








(だって知ってしまったら、どうなる?)





(きっと、あたしは泣くだろうから)























台所の床が冷たい。
お風呂あがりの体に水分補給をしていると、ゴンがわざわざ台所まで来て「コレ、さっきなんか鳴ってたけど」とあたしの携帯電話を差し出しながら教えてくれた。
それを受け取って開けば、「着信あり 一件」と「新着メール 一件」と表示されている。
着信履歴に表示されているのは 錦戸 亮 の文字。
土曜日のことかしら、(そういえば後でメールするなんて言っておいて奴はまだメールを寄越していなかった)そう思いながらリダイヤル。発信ボタンを押す。
押し当てた耳に機械的な音が鳴り始めた頃、相変わらず台所に立ったままのあたしをすぐ隣から眺めるゴンの視線に気付いた。



プルルルル


「・・・どうしたの?ゴンも牛乳飲む?」
「いらねー」
「あーそう」


プルルルル


「あ、もしかして携帯とか知らない? あのね、この小さな機械は現代日本において広く普及している携帯電話と」
「知ってってから!ちゃんと俺見てきたから20年間この世界!なめんな!」


プルルル


「じゃあ何見てんですか?楽しいことないよ、あたし眺めてても」
「  誰に電話してんの」
「は?」





「誰から電話あって、誰に電話してんの」
「なにいきなり」
「彼氏?」
「、彼氏じゃないよ」



ゴンとの会話に気を取られていたあたしが、いつの間にか発信音が途切れていたのに気付いたのはその直後。



『・・・おい』



低い声が携帯電話の中から聞こえた瞬間だった。
『聞こえとるで、そっちの』



ため息交じりの声、心底呆れたような声。
「え、あれ?錦戸?」と慌てて意識を電話に戻すあたしに対し、ため息がもう一度、今度は露骨に聞こえてきた。



『お前は誰に電話したつもりやねん』
「・・・錦戸」
『せやったら俺は誰ですかー?』



いつもズケズケズバズバ物を言うくせに、こういう遠まわしな嫌味も使いこなすからやってられない。どちらかといえばそういうのはあたしの方が得意なはずだったのに。



「・・・錦戸さんデスヨネー」
『当たり前や。つーか電話しといて痴話喧嘩とか何なん?あてつけ?』
「違うし!痴話喧嘩でもないしあてつけでもない!」
『まぁええけど。「彼氏じゃない」しな』



嫌味、連発。わざわざ強調して言う彼の顔は、今日学校で話していたときのようなニヤニヤ笑いなのだろうか。
・・・もしかして、もしも、万が一にでも、怒っていたりして。錦戸はそのトーンから推し量ることができないタイプの声だ。
とはいっても、たとえ錦戸が電話の向こうで怒っていたとしてもあたしが不安に思うことじゃない(だってあたしにやましいところなんて何一つないのだ)。彼氏じゃない、というのも嘘でもごまかしでもなく真実だし、それはお互いの出した結果だ。



『で、そっちにおるんはあれか?昼間言うてたセフレ?』
あ、やっぱりこいつ絶対笑ってるわ。
「・・・・・・」
チラリと視線を上げる。ゴンはあたしに背中を向けていて、だけど台所から出て行くこともなくすぐ隣に立っていた。



「・・・てゆーかさ、電話、くれましたじゃん?」
なんだか居心地が悪くて、あたしはとりあえず本題へと話題転向することにした。



『・・・・・・あぁ。掛けながら、お前今の時間風呂入ってるやろなって気付いたわ』
「あーうん、まさにお風呂に」
『で、メール見たん?』
「え?見てないよ、」
『は?俺電話切ったあと送ったで?』
「あー・・・見る前に電話しちゃったみたいですねあたし」
『先走ったな』
「ですね」



・・・なんかゴンから構ってくれオーラが出てる気が、
犬っぽいなぁと思う。でもそう言ったら怒りそう。
犬だったら電話しながらでもちょっかいだして遊べるんだろうけど、相手は犬ではない。(人間でもない。)
幽霊、かぁ。



『で、土曜日。11時頃に向かえ行くから支度しとけ』
「あら、車出してくれるんだ?」
『たまにはな』
「ありがたいです了解でーす」
『じゃ、また、』
「はいはーい」
『・・・なぁ、』
「はい?」







『お前今、何と一緒におるん?』







ぞくり、背中が震えた。
どうして、
どうしてわかる?



『おかしいで 、そっち、空気』



電話越しだというのに、それがわかってしまう。
そうだ、だいたいゴンの声が錦戸に聞こえることがおかしい。普通の人間との会話にしたって、受話器の向こう側には聞こえにくいはずなのに、錦戸にははっきりとそれが聞こえていた。



ゴンの方を向けない。
きっと彼はまだ私に背中を向けてるだろうけど、今ゴンを見れば、きっとそらせなくなる。



「・・・何と って、」
『・・・・・・ええわ、 ほなまた、土曜日にな』



ツー ツー ツー。
こちらの返事を待たず一方的に切られる電話。錦戸と電話したらいつもこうだったから気にもならないけど、今はとても微妙な気持ちだ。
怒ってる?そう聞いたりはできない。別に と答えられるのは目に見えている。
「・・・・・・」
仕方なく携帯の通話終了ボタンを押して、しばらく眺めていると「終わったー?」とゴンの声。
反射的に顔を上げる。いつの間にかゴンはあたしのすぐ近くにいて、それに息を呑む暇も与えずとても自然にあたしの携帯を取り上げた。
「え、ちょ、」
「今日は、もう電話とか やめて?さびしーから」
そう言って、携帯を持ったままさっさとリビングに歩いていってしまう。
「・・・・・・」
まぁ、いいんだけど。



「あ、あと俺ぇ、今の電話の奴きらーい」
「・・・・・・」
リビングから聞こえたゴンの声には、聞こえないふり。













(03/13  気付かない部分でいろいろと、)