今日、錦戸と一緒に出かけたことが間違いだったのかもしれない。
終わったのだから、終わらせておくべきだった。
誘いがあったって断ればいいだけの話だ。錦戸がいくら強引だからって、嫌だという人間を拉致してまで横浜に連れてくることはないのだから。
そうすれば、今頃 、



「・・・・・・帰って、あいつと何すんねん」
唇をすぐに離して、至近距離で錦戸が低く問いかけてくる。
「何、って・・・」
お前が何してんだって話だ。という反射的なつっこみが頭をよぎったけど、今はそんな状況ではないので口には出さない。
何、なんて聞くまでもなく、今のはキス以外の何物でもないわけだし。
「、 別に何するわけでもないよ。ただ帰るって約束したから帰らなきゃいけないって、それだけの話で」
「『それだけ』やったらええやんけ。どうしても守らなあかん約束と違うやろ」
「違うよ、言葉の意味が違うでしょ。わかってて言ってるよね錦戸」
「わからん。なんもわからんよ。俺お前の言うとること、全然いっこも理解できん」
「あたしには錦戸が理解できないよ。ゴンがどうこうっていうわけじゃなくて、あたしは約束を守りたいだけなの」
そうだ。あたしは約束を守りたいだけ。それがたとえゴンとの約束じゃなかったとしても。
例えばあたしが今ゴンと一緒にいて、だけど錦戸のところに行く約束があったとしたら。そうしたらあたしはゴンを置いて錦戸のところに行く。そう、それこそ今朝のように。


「・・・お前、変わらんなそういうとこ。性格ひねくれとるくせに約束だけは絶対守ろうとすんねやもんな」
あたしの後頭部から手を離した錦戸は、ソファに座りなおして呆れたように背もたれにもたれかかる。実際呆れているんだろう。
「・・・・・・、いけないこと、かな?」
「死んでもええの?」
あたしが呟くと、間髪いれずに錦戸はそう言った。天井を仰ぎながら、気だるそうに。


「あいつにやったら、連れてかれてもええの?」


「・・・・・・」
そんなことは、ない。あたしはまだ死にたくない。ゴンが相手だったところで、殺されるなんてまっぴらだ。
だけど言葉は出てこなかった。あたしが(いくら約束のためだといっても)ゴンの待つ家へ帰ると言い張っている以上、その言葉はどうしても矛盾する。
「・・・それとも約束なんて実はただの建前で、ただ単純に、真っ直ぐに素直に正直に、あいつに会いたいん?」
そう言われて頭に浮かんだのは、ゴンがうちを訪ねてきたあの日の、ゴンの泣く姿だった。



20年間、ずっとひとりきりで、誰かと会話することもなく、誰にも気付かれず。
あたしと話して一緒にお茶を飲んでいることが嬉しいのだと言って、体中をずぶ濡れにして泣いた姿。
視線を落とすと、錦戸の腕時計が目に入った。時刻は、23時40分。





『ぜってー今日中に帰ってきてね』




『約束』




結んだ小指。念を押すようにあたしをじっとみた瞳。







ゴンが、泣いているかもしれない。










・・・・・・ごめん、と言った声は自分で予想していたよりも小さな声だった。だけど錦戸には届いたようで、あたしを見る。
「・・・何がや」
「帰らなきゃ」
「・・・・・・本気で言うとんのか?」
錦戸があたしを睨みつける。
きっとこれが最終通告だ。今家に帰ったら死ぬかもしれない。死なないかもしれない。だけどどちらにしても、今この部屋を出たらきっと二度と錦戸と会うことはないだろうと、何故か思った。それは直感にもかかわらず、確信があるかのようにあたしの胸に圧し掛かる。

・・・・・・だけど。

あたしは頷いて、玄関へ向かう。錦戸はもうあたしを止めないだろう。
ああそうだ、と唐突に思い出す。錦戸と別れたあの日、あたしはこんなふうにこの部屋を後にした。錦戸はやっぱりソファに座っていて、やっぱり、あたしを止めはしなかった。
ここまで来ても、またあの頃の記憶を思い出す。あたしは自分で認識しているよりもずっと執念深い人間だったのかもしれない。淡白なように見せかけて。忘れたかのように振舞って。都合のいいことだけ思い起こして、そうして、自分自身を騙して。




本当は、



錦戸と別れたあの日、あたしは、泣いていたのに。





靴を履いて、「じゃあね」、振り向かずに言う。きっと錦戸だってこっちを見ていないだろう。返事を待たずに、あたしは外に出て、ドアを閉めた。アルミ製のドアノブが、ゴンの指より冷たく感じた。















錦戸の家からあたしの家までは、徒歩約20分。
ヒールのついた靴で出来る限りの速さで走って、乾燥した空気が喉に痛い。
玄関の鍵を開けながら腕時計を見れば、23時58分。



ドアを、開ける。
湿度?そんなものわからない。



靴を脱ぎ捨ててリビングへ入れば、専用のクッションを抱くように座っていたゴンが目を見開いて驚いた顔をしてあたしを見た。



よかった、 泣いてない。
部屋がびしょ濡れになるとかそういうことを差し引いて、ゴンが泣いていなかったことに、あたしはひどく安心した。





「・・・・・・、帰っ て、こないかと、思ってた」



だけど力なくそう言うゴンは、何故だかわからないけどとても切なそうな顔をしている。
「  、 ただいま」
安心させたくて、あたしはそう言って微笑んだ。



おかえり、という言葉が返ってくると思っていた。



だけど、その予想は大きく外れる。
目の前に座っていたゴンはいつの間にかあたしの真後ろにいて、まるで眠るときのようにあたしをきつく抱きしめた。



そして、


























「・・・・・・・・ 好きだ  」







回されたゴンの腕から、頬に触れるゴンの髪から、ぽたり、水滴が落ちた。

















(05/21 結局泣かせちゃった)