それからは生活が一変した。
それまでの友達はいなくなり、見知らぬ舎弟が何故かズルズルと増えていく。
仁は何も言わなかったけど、廊下で俺に思いっきり頭を下げる先輩連中を見て露骨に首を傾げていた。ちょっと面白かった。




その頃、ひとりの先輩と出会った。
2つ上、偏差値も風紀も治安もよろしくないと評判の高校に通う松本さんというその先輩は、そんな高校で2年生ながらに番を張り、さらに地元でそこそこ大きい族の次期頭となることが確定しているような立場の人。不良でなくてもその名前は知っているような、折紙つきの悪。
そんな人が突然中学校を訪ねてきたのだから(しかも単車で校庭まで乗り付けた)、俺だって心からびびった。終わったとか、殺されるとか、そんな言葉が頭の中に生まれた。というのも、俺がいつか歯を砕いた男のバックについてる高校生だか族だか、それが松本さんだという話を後々知ったからだ。
そうくりゃ可愛がってた後輩の仇を討ちに来たのだと、それしか考えられなかったのも無理はないはず。

だが松本さんはそんな俺に笑った。
そりゃもう綺麗に笑いかけた。
「ちょっと付き合えよ」
そう言って松本さんは単車のキーを指でくるくると回した。

初めて乗った後部座席、初めて越した時速150km。
ここまでくればもう世界なんて見えないのだと、初めて知った。

たどり着いたのは小さな薄汚い喫茶店。その店内はいわゆる溜まり場だったようで、松本さんがドアを押し開けると同時に店中から挨拶が飛んできた。
それに適当に返しながら松本さんはその中の一席に座った。俺はその正面に。視線が痛い。半端ない視線だ。それでも不安なんかを見せたら終わりだと思ったし、5分前までの走りのおかげで俺は軽い躁状態だったのも確か。多分俺は臆する様子なんか見せてなかったはずだ。そういうことにしておく。

松本さんの話はこうだ。
俺が歯を砕いた奴と松本さんは、確かに多少の面識があった。
だが松本さんは奴のバックについた気なんてなかったし、それを触れ回って、それでいてたかだか中学生のガキ共相手(と松本さんは言った)に幅をきかせているというその姿勢がずっと気に食わなかった。
そろそろどうにかしなければ、と腰をあげようとしたちょうどそのとき・・・あの出来事があった、というわけらしく。
それで俺の存在を知り、何故か知らないけどそのエピソードが(歯の部分が特に)気に入ってしまった、と。
「んーで、会ってみてーなーって思った、・・・みたいな?カンジ?」
わざとらしくふざけた口調で松本さんは話を締め、にっこり笑った。
松本さんは凛々しい顔立ちをしている。というか、はっきりと美形だ。多分松本さんのカリスマ性を高めるのにこの容姿も一役買っているだろう。
でも、その目は・・・・・・なんというか、イッちゃってる目。どう見たって紙一重の向こう側。
「・・・ま、ここ来る途中でオメーがいっぺんでも謝っちゃったらフクロにすんべって思ってたんだけどーでも大丈夫だったな。オメーわりと頑丈じゃん」
そう言って松本さんはその目で俺を覗き込む。距離、20cm未満。

「それに、いい目ぇしてんじゃん?かるくイっちゃってるし」

・・・・・・あれは本気でショックだった。

まぁとにかく。それから松本さんは何かと俺を気に掛けてくれるようになり、それこそ事実上「バックについた」ことになったようだ。この地域で俺に大きなトラブルが降りかかることは、おかげでほとんどなくなった。小さいのは日常茶飯事、すぐに慣れたことだし。

ちなみに進路は松本さんの「俺ん高校来るんだろ?」というとても男らしい一言で決まった。拒否権はない。偏差値の問題もない。そもそも俺は成績がいい。そういうのは、大事。

そして、晴れて高校生。
仁は「俺もぜってーその高校行くから待っててよ!辞めんなよ!」と騒いでいた。
もちろん単車への情熱は冷めていなくて、団地の近くにある小さな居酒屋でバイトすることになったと言う。その居酒屋は小さな頃からよく声をかけてくれたおばちゃんが経営している店で、年齢のところには目をつぶってくれたらしい。そうやって金を貯めて単車を買うのだと意気込んでいた。
それでも仁にちょっかいを出す奴なんていない。そこだけは「ちゃんとして」俺は卒業したはずだから。


入学祝いだと言って、松本さんは自分がそれまで乗っていたZUのキーをくれた。
俺が初めて世界を見失った単車。そして松本さんのトレードマークでもあったそれに乗るということが意味するものは、平穏ではないがとりあえずある位置で安定している生活を送ることになるということ。

そんなこんなで、松本さんは俺にだいぶ影響を及ぼした人物だ。
と出会ったのも、松本さんのおかげのようなものだった。

去年、松本さんが招集した夜会、顔見せだなんだと半ば強制的に連れて行かれたその橋の下で、俺とは初めて会った。
右目のすぐ下に小さなほくろがあるその顔立ちは整っていて、明るく染めているのに全くダメージを感じさせない長い髪とすらりとした体躯とがあいまって、一見パーフェクトな女の子。
外見はいいのに喋るとなかなか口が悪い彼女とは、ZUに乗っているというところから会話が始まった。女だとは思えないくらい単車に詳しくて驚いた記憶がある。そもそも彼女はこのチームに属しているわけじゃないらしく、じゃあ何故ここにいるのかと問えば、退屈しのぎだと答えた。ここはいろんな単車が見られるから面白いのだと。随分危ない暇つぶしだ。

「え、高校?行ってねーよ、家庭のジジョーで」
そうあっけらかんと笑って言うに、しばらく口が間抜けに開いていた記憶もある。今時中卒の女の子なんているのか、と正直思った。言葉を捜す俺に、は「同情禁止!」とぴしゃりと言い、また笑った。彼女は笑うと眉が八の字になって可愛らしくなるということを発見した。
「よーう」
二人で話していると、松本さんがやって来た。
「松本さん!」
「あ、潤さん!コンバンワー」
が久々に顔出したと思ったら俺の後輩とイチャついてっから邪魔しに来てやったー」
「何言ってるんですか潤さんってばー」
・・・敬語といえば、敬語なんだけど。
属していないとはいえ総長である松本さんと対しているのに大分親しげな口をきく。居合わせているこっちがヒヤヒヤしたけど、松本さんはまったく気にもせずにの肩に腕を回した。
「ほんっとお前相変わらず顔だけはキレーだなー・・・どうよ、俺と付き合う?」
「あははっ潤さんまたそれかよ!今は何人彼女いるんですか?」
「えーとねー・・・5人?か6人」
「え、それいらねーでしょあたし!」
「いやマジマジ、お前が俺の女になるんだったら全部手ェ切んぜ?ヴィトンの財布とシャネルのカバンだってやるし、ブルガリの指輪もやる」
「持ち腐れになるからやめておいたほうが。そもそも誰かに盗らせた贈り物なんかいらねーよー」
それは俺も同感・・・なんて心の中で同調している場合じゃなく、俺はさっきから二人の会話にちっとも入れていない。
・・・それにしても。もしかして、もしかしなくても、はものすごい女の子なんじゃないか。あの松本さんと、たとえ敬語でも、こんなふうに同等に渡り合った口をきく後輩なんてこの地域には間違いなくいない。そしては無意識だし松本さんも気付いていないが既に敬語を使っていない。
「ほんっとお前は堅ぇな!そんなんだから処女なんだよ」
「余計なお世話!」
なんだかさりげなくすごいことを聞いてしまった気がするけどそれは置いておいて、松本さんは俺に笑いながらを指さした。
「なぁ山下ァ、こいつ面白れーだろ?でも可愛げねーから友達少ねーんだわ。だからさ、仲良くしてやってな」
「え、あ、ハイ」
よっしゃ、と松本さんは笑って、そしての頭を2,3回軽く叩いてから、「そろそろ行くぞ――!」と叫びながら自分の居場所へ戻って行った。

「・・・ワケわかんねー・・・何から何まで余計なお世話だし潤さん・・・」
松本さんのいるほうをちらりを見て、は唇を尖らせる。その仕草が綺麗な外見に似合わなくてちょっと笑った。
「・・・でもさ、もし松本さんと付き合ったらーとか考えないの?」
笑いついでに言ってみた。
総長の女。それだけでついてくる奴は男女問わず腐るほどいるだろうし、無条件に一目置かれる存在になる。いろいろなところに顔が利くようにもなるだろう。
俺はそんな特権なんかに興味はないけど。
するとはあの困ったような笑顔でこう言った。
「だからさ、潤さんにはあたしはいらねーんだって」
「・・・・・・どういう意味で?6人彼女いるから?」
「つか、あの人寂しがりやじゃねーし。あたしは寂しがりやの男が好きなの」
「、それは」
変わった趣味だ。そう続ける前に、唇に温かい何かが触れた。何かなんて白々しい言い方をしたけれどそれはの唇に他ならない。


「だから、あたしは智久の方が好きだよ」


二重の意味で驚いてる俺に、はそう言って笑った。それは困ったような笑顔じゃない、ただ、笑顔だった。




そんな子と、今や一緒に暮らしているのだから不思議なものだ。
恋だと自覚した覚えはないけれど、いつの間にかそこにいなければ落ち着かなくなっていた。
はまるで煙草みたいだった。もう手離せない。もしもがいなくなったら、俺も多分消えてしまう。


単車も何もかも、たぶん 仁も 置いて、消えてしまうんだと思う。


「だからなくさないんだー」
呟いた声は、乾燥した風に消えた。
そう、なくさない。

どんなことしてでもね。








(03/08 いなくならないからいなくならないでね、俺寂しがりやだもん)