小さくて古いアパートにはチャイムなんてものはつけられていない。鉄でできている扉をガンガンと叩いたら、10センチくらいだけ開いた。錆びたロックチェーンはかかったままのその隙間から、見慣れた顔が俺の姿を認めて「なんだ、新聞屋かと思った」と笑った。





ロックチェーンを外して改めて扉を開けたは、困ったように笑いながら(つまりいつものように笑いながら)俺を部屋に招き入れた。2,3度来たことのあるだけの部屋。家賃がいくらかなんて知らないし聞かないけど、ベッドも置けないこの狭さは健在。どうやって二人で暮らしてるのかがいつもわからない。


「うわーお久しぶりですよね、潤さんとあたしって。あ、お茶いります?」
「おー、多分年明けてからまだ一回も会ってねぇだろ。コーヒー」
「そうでした?智久から話聞くからかな、そんなに久しぶりって感覚じゃねーわ・・・。はいはいコーヒーね、インスタントのみですよ」
「先週も集会で会ったからな。インスタントとかマジしょべー」
「アポなしで来といてよく言うわ」とぼやきながら、は真っ黒なコーヒーを俺の前に置いた。歯に衣着せぬ物言いは相変わらずだ。











初めて会った晩、俺が集会に行こうと家を出たら、俺のバイクの前にが座り込んでいた。
「何か用かよテメー」と挨拶代わりにすごんだ声に振り返った顔が予想したより綺麗でさらにあまりに好みのタイプで、俺は二の句が告げなかったんだと思う。は俺の特攻服に覚えがあったのか(そりゃそうだ、総長用に代々伝えられる白い特攻服はこの辺で知らないやつはいない)、小さな声で「あちゃー」と呟いたのが印象に残っている。それにしたって顔色は変わらなかったのだから、相当な度胸だと思うけど。
「面白いカスタマイズだったから、見とれてました」とはあっさり言い、さらに「でもこのマフラーの部分の塗装はここまでやると音が悪くなるでしょ、せめてこの、八分目くらいまでのほうが音が管に響いていい感じに転がると思うけど」なんて意見したのだ。思わず「なんなのお前」と笑ってしまったのも無理はない話だと思う。


族なんかじゃない、単車が好きなだけだと言い切ったを気に入った俺は、彼女を集会に連れて行った。見ていて面白くなる単車が山ほどある。案の定は目を輝かせた。俺はに一切手を出すなとメンバーに指示を出した。











「で、山下と別れる予定ねーの?」


コーヒーを飲みながらたずねると、即行で「ないです」。あっそ。
あの時紹介なんかするんじゃなかったと公開してももうだいぶ遅い。山下は女に関しては奥手そうだったから油断していた俺が悪いのか。そうなのか。
俺の女になれという誘いをは何度も棄却した。割と本気だったんだけど。
女に不自由したことはない。顔もいいし肩書きだって持ってる俺だ、言い寄ってくる女なんていくらでもいた。だけどだけは俺になびかなくて、それが新鮮で逆によかったのに。
「欲しかったんだけどなー、お前が」
セブンスターの煙と一緒に吐き出した言葉に、は「うそくせー」とけらけら笑った。こんな感じにかわされたあとの脱力感にももう慣れたものだ。



「潤さんってなんかー、お兄ちゃんぽい」


脈絡なく言う。
「・・・え、兄貴いんの?」と聞けば「いね」即答。じゃあなんだ。
「いないっつーかいたんだけど今いないっつーか」
「ふーん。どっか行ったの?」
「死にまして」
「・・・・・・」
「バイクで事故って死んだんですけど、それが対物事故じゃなくて対人事故だったもんだから最悪、相手は今も半身不随だっていうんだからさらに最悪。慰謝料払い続けて早4年」
あまりに軽く語るその内容は、噛み締めればなかなか、というかあまりに重いものだった。
「だからあたしも高校に行けずにですねー、まぁもともと成績も芳しくなかったけども」
は立ち上がって自分のお茶を注ぎ足して、また座って。
「高校行きたかったけど、まぁ仕方ない。だからその分智久には学校さぼらせたくないのね、まぁまだ智久に言ってないですけど」
困ったように笑う、いつもの笑顔。苦笑いなのかそうじゃないのか判別できなくてちょっと困る。
「いいお兄ちゃんでしたよ。普段そんなに家にいなかったんだけどー、たまに会えばなんかくれるし。パチンコの景品とか、そーゆーちっちゃい物」
少しだけ遠くを見るような目になって、それを自覚したのかはさりげなく目を伏せた。伏せたっていうことは隠したいってことだから、俺は気付かないふりをする。ほら俺って割と紳士的だから。
「・・・で、俺がその兄貴っぽいって?」
「あそうそう、こないだも潤さん煙草くれたっしょー?あたし実はセッター嫌いなんですけど、もらえたら嬉しーし」
「・・・・・・てかセッター嫌いなんだお前。初耳なんだけど」
「あ、マイセンよりは好きですから大丈夫。・・・あとなんだかんだで面倒見がいいところとかー、気にかけて様子見にきてくれるところとか。お兄ちゃんぽい」
「・・・あ、そ」
今気付いたんだけど。
実はものすごい恋愛対象外宣告だ、これは。ちょっとへこんできた。これを素でやっているは産まれついての悪女なのかもしれない。


「こうやって、智久にも言ってないお兄ちゃんのこととか話せるのも、潤さんだからだもん。どうする?あたし、潤さんいなきゃダメっぽいんですけど」


「・・・・・・お前、」
何?何今の殺し文句。ちょっと嬉しいんだけど。でもこいつに「そんな気」は全くなくって、あ、でも嬉しいわやっぱ。
「はい?」ときょとんとしているの頭を軽く叩いて、「俺もー帰るわ」立ち上がる。
「いて!え?なんでいきなり?」
「急用」
嘘だけど。これ以上いたらニヤけ面見られそうで嫌なだけ。





ぼろいアパートの前に停めてある俺の単車はだいぶ風景的に浮いていた。
そこまで見送りに出てくれたは俺がエンジンを書けると共に、思い出したように言う。


「あ、もしかして国道走ってきたりします?今日夕方から検問ですよー」


どこから持ってきた情報なのか知らないけど、が言うなら確かだろう。これまで何度か助けられた情報だ。
「ふーん。じゃ別ルートで走るか」
「それがいーと思います・・・じゃ、ま、死なないように」
「・・・おー」





音を響かせて、走り出して。
ふと思う。俺がZUを山下に譲らなければ。俺が今でもZUに乗っていれば。


は、俺の隣を走っていただろうか。





「・・・・・・やるんじゃなかった」





呟いても、後の祭り。
結局はこの後部屋に戻って、山下のために部屋を掃除して山下のために飯を作って、山下を迎えるんだ。
それはかなり悔しい事だけど、『お兄ちゃん』だし。
俺は俺の地位を確立しているということだ、の中で。それならそれでいいのかも。



だから俺は、とりあえず、



あいつに二度と兄の死を与えないように、死なないように走るだけだ。





そんだけ。








(03/16 これ、俺にしちゃすげぇ愛情じゃね?)