「窓開けてもいい?」



隣で煙草に火をつけたばかりの彼に聞く。



「ごめん、煙苦手だったっけ」
「違う、ちょっと車酔い」
「マジで?あんまこの車揺れない構造なってるはずなんだけどな」
「お酒飲んでるからかもしれない。でもそんなたいしたことないから、心配しないで」
「いいよ、一旦停めよう」
彼は運転席と後部座席を仕切るパーテーションを開け「適当なとこで停めて」と運転手に告げ、ほどなく、ゆっくりと停車したのがわかった。
「外、出よっか」
いつの間にか運転手が外側に回りこんでいたようで、ドアが静かに開けられる。彼と車を降りると、運転手は彼に一礼して足早に運転席に戻った。



「うわ、さっみーな・・・」
真夜中。冷たい空気の中で深呼吸すると、自分の喉の奥の気道がなんとなく思い浮かぶ。体中のこもったような空気が一気に循環されて気分がすっと楽になった。海岸沿いの道路には潮の匂いと波の音が漂う。
「気分どう?やっぱまだちょっと気持ち悪い?」
「ううん、だいぶ良くなった。ありがとう」
そう答えると「よかった」と呟いて、彼は当たり前のように私の腰に左手を回す。
「・・・ちょっと歩こ」
「え?」
「いいじゃん。俺好きなんだよ、夜中の散歩」
「だけど、暗いし」
「怖い?」
「足元見えづらいからちょっとね」
「じゃあ上見て、星超きれいだから」
その言葉につられて上を見上げると、冬独特の真っ暗な空にいくつも星が見えた。
そのまま彼のエスコートで真夜中の道路をゆっくり歩く。車通りは全くない。波の音、パンプスの音。



「冬はー、一等星が多いんだって」



歩きながら彼はそんなことを言った。
「星座わかる?」
「あれが・・・オリオン座っしょ、たしか」
「・・・だけ?」
「・・・だけ」
苦笑いしながらちらりとこっちを伺う彼と目があって、あ、と思う前に唇が重なった。
閉じそびれた目が至近距離で再び彼の目とあう。彼は目だけで微笑んだ。
唇が5ミリだけ離れて、彼は「グロスつけてなくてよかった」と口の端を上げる。
「・・・雰囲気に乗っかってこういうことするんだ」
「だけど受け止めてくれたじゃん、拒否してもよかったのに」
「そんな隙なかった」
は隙だらけだった。してほしいのかなって思ったんだけど」
「残念だけど、そんなつもりもなかったよ」
「じゃあ俺の勘違いだったのかもね」
話すたびに、唇の表面がかすかに触れてくすぐったい。これをキスと数えるなら、私はもう何回彼とキスしているんだろう。



「・・・したくなかった?俺とは」



そう問う顔はまるでそんなこと思ってもいないような、自信に満ちたものだ。
何回目なのだろう、こんなやりとりは。彼も、私も。それぞれが暇を潰すだけの駆け引きごっこ。この先にあることはもうお互いわかりきっているのに、そこへ向かうための一言を相手に言わせようとする。



「わかんないけど、今、驚くほどドキドキしてない」



そう答えると、彼は目を伏せて笑った。「じゃあ次は、息とめてキスしてみるとか」。ざらりと私の唇を舐めて言う。



「溺れるみたいな感覚になって、気持ちいいかもしんないよ?」



だから今度は私が笑う。波の音、潮の匂い、誰もいない道路、文句のつけようのない見事な星空。お膳立てが整いすぎて、むしろ何も感じることのない真夜中。








たったの一雫で、溺れられるわけないのに。





ONE DROP